YouTube ~東海道、旅日記~

東海道、旅日記 #1 【第1日目】「二日酔いで出発…」日本橋~神奈川

 2013年8月9日、東京の日本橋から初めての街道歩きの旅へ出かけました。目指すのは京都の三条大橋。東海道を歩く旅でした。初めての旅は自業自得により大変苦しい始まりとなりました。しかし、それは後に続く全国への街道歩きの第一歩となりました。準備万端で出発とはならず、とてもこれから街道歩きを始めようという方への参考になるものではありませんが、自戒と反省を込めて、その第1日目をご覧いただこうと思います。では、「東海道、旅日記」始まりです!


東海道、旅日記 #2 【第2日目】「猛暑と梅干と茅ケ崎の海」神奈川~平塚

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。2日目の8月10日は、神奈川から平塚あたりまで歩きました。二日酔いに苦しんだ自業自得の第1日目でしたが、2日目も猛暑のなか大変な思いをしながら、少しは周囲の様子に目を向けることも出来たようです。まだまだ長い京都までの旅、「東海道、旅日記」第2日目始まりです!


東海道、旅日記 #3 【第3日目】「湘南の風と小田原提灯」平塚~小田原

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。3日目の8月11日は、平塚から小田原まで歩きました。平塚のあたりからどことなく風景も変わってきて、いよいよ旅に出たなという感じがしてきました。浮ついていた気分も、少しづつ旅への覚悟をし始めたようです。夜泊まったスーパー銭湯で見たテレビでは「列島猛暑」のニュースが! まだまだ長い京都までの旅、「東海道、旅日記」第3日目始まりです!


東海道、旅日記 #4 【第4日目】「箱根の山は天下の剣」小田原~三島

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。4日目の8月12日は、小田原から三島まで歩きました。東海道にそびえる「天下の剣」、箱根峠にいよいよチャレンジ。石畳・峠の茶屋・杉並木など、街道風情は一層深まり、「旅」への意識も高まります。相模の国から伊豆の国へ、「東海道、旅日記」第4日目始まりです!


東海道、旅日記 #5 【第5日目・前編】「牧水の千本松原と太陽の延髄切り」三島~興津

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。5日目の8月13日は、三島から興津まで歩きました。だんだんと1日分の動画が長くなってきましたので、今回からは前編と後編に分けてUPすることにしました。5日目前編では、三島から沼津の千本松原の先あたりまでを紹介しています。駿河湾を望む千本松原を歩きながら、若山牧水の歌に思いを寄せ、現在の道路と旧街道を歩くことの違いに気がつき始めたようです。「東海道、旅日記」第5日目の始まりです!


東海道、旅日記 #6 【第5日目・後編】「涙の薩?峠と救いの宿」三島~興津

 2013年夏、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅は、8/9~24の16日間をかけて東海道を京都の三条大橋まで歩きました。この動画はその5日目、三島から興津までの後編です。後編では、沼津の千本松原の先から、吉原・富士を経て、蒲原・由比までを歩き、その後、富士山と駿河湾を望む景色で有名な「さった峠」を越えたところまでを紹介しています。「東海道、旅日記」第5日目・後編の始まりです!


東海道、旅日記 #7 【第6日目・前編】「海道一の大親分、清水次郎長」興津~丸子

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。6日目の8月14日は、興津から丸子の宇津ノ谷峠まで歩きました。この動画ではその前編、静岡までを紹介しています。清水湊の大親分「清水次郎長」と、日光脇往還(千人同心街道)の高萩宿の侠客「清水喜右衛門」との交流や、街道筋の松並木にまつわる戦時中のエピソードなどに触れながら、清見潟とも呼ばれたかつての景勝地を歩きます。「東海道、旅日記」第6日目(前編)の始まりです!


東海道、旅日記 #8 【第6日目・後編】「心霊スポット 宇津ノ谷峠」興津~丸子

2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。6日目の8月14日は、興津から丸子の宇津ノ谷峠まで歩きました。静岡では徳川家康の遺訓に触れた後、親切なお蕎麦屋さんで昼食を食べ、安倍川を越えてからは丸子宿まで歩き、歌川広重の浮世絵にそっくりで有名なとろろ汁の丁子屋を見ました。そして日が暮れて来るなか野宿をすることになった宇津ノ谷峠。しかし、そこは有名な心霊スポットだったのです。「東海道、旅日記」第6日目(後編)の始まりです!


東海道、旅日記 #9 【第7日目・前編】「心霊スポット?宇津ノ谷峠から大井神社へ」丸子~島田

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。7日目の8月15日は、丸子宿から島田宿まで歩きました。この動画ではその前編、丸子・宇津ノ谷峠から島田駅到着までを紹介しています。宇津ノ谷峠で野宿をした翌朝、実はそこが有名な心霊スポットだったということをSNSで知ります。それでもあまり不安には思わず、幻想的な明治のトンネルを抜け、岡部・藤枝を経て、島田の駅まで歩きました。しかし、真夏の強烈な暑さのなか、思った以上に心身は疲弊していたようです。「東海道、旅日記」第7日目(前編)の始まりです!


東海道、旅日記 #10 【第7日目・後編】「大井神社にて、旅」丸子~島田

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。7日目の8月15日は、丸子宿から島田宿まで歩きました。この動画ではその後編、島田宿・大井神社でのエピソードを紹介しています。日本橋を出発してちょうど7日目。自分でも気が付かないうちに心身ともに疲れ、冷静な判断が出来なくなってきていた頃でした。そんな時に大井神社でお会いしたKさん。Kさんからたいただいた言葉は僕を立ち止まらせ、なぜ旅をするのか、なぜ歩くのかを考えさせてくれました。その後の街道歩きに大きな影響を与えてくれた旅での出会いに感謝する動画です。ぜひご覧ください。「東海道、旅日記」第7日目(後編)の始まりです!


東海道、旅日記 #11 【第8日目・前編】「越すに越されぬ大井川と小夜の中山、夜泣き石伝説」島田~袋井

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。8日目の8月16日は、島田宿から袋井宿まで歩きました。この動画ではその前編、大井川の川越と、小夜の中山・夜泣き石伝説のエピソードを紹介しています。日本橋を出発して8日目、大井神社のKさんのご厚意で1週間ぶりに布団で眠った翌朝は、いよいよ「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」を越えました。早朝たずねた大井川川越遺跡(おおいがわ かわごしいせき)の様子や、大井川を渡った先に待ち構えていた急な坂道、金谷坂・菊川坂、そしてその先の峠の難所、小夜の中山を歩きます。そして峠に残る「夜泣き石」の伝説について、身をもって考えることになりました。「東海道、旅日記」第8日目(前編)の始まりです!


東海道、旅日記 #12 【第8日目・後編】「日坂宿でパンツ・掛川城の山之内一豊・西へ向かうは秋への旅」島田~袋井

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。8日目の8月16日は、島田宿から袋井宿まで歩きました。この動画ではその後編、小夜の中山のふもと日坂宿から、内助の功で有名な山之内一豊の掛川城、そして東海道どまん中の袋井宿までを紹介しています。東海道のまん中「袋井宿」の近くまで来ると、広がる田んぼの稲にはもう穂がついていました。東から西に向かって歩くのは、これからやってくる秋に向かって歩いていくことと同じなんだなと思いました。東西に延びる日本列島の季節の移り変わりを足で感じた瞬間でした。「東海道、旅日記」第8日目(後編)の始まりです!


東海道、旅日記 #13 【第9日目・前編】「遠州鈴ヶ森 日本左衛門と暴れ天竜、おやじと語り」袋井~弁天島

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。9日目の8月17日は、袋井宿から舞坂宿の先、弁天島まで歩きました。この動画ではその前編、東海道どまん中「袋井宿」から「見付宿」を経て、歌舞伎「白波五人男」のモデルにもなった大盗賊「日本左衛門(にっぽんざえもん)」が処刑された遠州鈴ヶ森、そして「暴れ天竜」と呼ばれた天竜川を越えた先までを紹介しています。見付宿のある磐田市はサッカーJリーグ「ジュビロ磐田」のホームタウン。見付宿場通りと名付けられた旧東海道の街路灯には、サッカーJリーグ、ジュビロ磐田の水色の旗が掲げられていました。天竜川を渡った先の公園で休憩した時は、地元の方のお話しをのんびり聞くことも出来ました。「東海道、旅日記」第9日目(前編)の始まりです!


東海道、旅日記 #14 【第9日目・後編】「お尻の真ん中メンタームと弁天島夜景」袋井~弁天島

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。9日目の8月17日は、袋井宿から舞坂宿の先、弁天島まで歩きました。この動画ではその後編、浜松宿から舞坂を経て浜名湖・弁天島までを紹介しています。日中の暑い盛りを浜松の街中でのんびりと過ごし、久しぶりに飲んだオレンジジュースに舌鼓。そして出発直後、普段ウォシュレットで甘やかしていたお尻の真ん中がヒリヒリと痛み出し、窮余の一策としてメンタームをやさしく塗布、事なきを得ました。そうして街道の松並木に思いを馳せながらたどりついた弁天島。夕暮れには間に合いませんでしたが、美しい夜景に心癒されます。「東海道、旅日記」第9日目(後編)の始まりです!


東海道、旅日記 #15 【第10日目・前編】「新居の関所から潮見坂へ」弁天島~豊橋

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。10日目の8月18日は、弁天島から吉田宿のある豊橋まで歩きました。この動画ではその前編、浜名湖の弁天島から新居宿関所跡、潮見坂から白須賀宿、そして愛知県に入った二川宿への到着までを紹介しています。初めての街道歩きも10日目となり、だいぶ体も慣れてきたようです。途中道を間違えても、戻って旧道をたどるような余裕も出てきました。何事も毎日続ければそれが習慣、歩いていることが日常になってきたのかもしれません。「東海道、旅日記」第10日目(前編)の始まりです!


東海道、旅日記 #16 【第10日目・後編】「二川宿本陣から吉田宿へ、旧街道クロマツの影」弁天島~豊橋

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。10日目の8月18日は、弁天島から吉田宿のある豊橋まで歩きました。この動画ではその後編、二川宿本陣を出発の後、旧街道筋に残るクロマツの跡を偲びつつ、豊橋(吉田宿)までを紹介しています。豊橋では全国大会に出場する野球少年と同じビジネスホテルに投宿、二日ぶりのお風呂に入り、夕食は高校の先輩にご馳走になりました。初めての街道歩きも10日目、なぜだか身の回りに起こるすべてに感謝の気持ちが湧いてくるような気がしてきました。朝、日の出とともに目が覚め、歩き、食事をして、そして日が暮れてまた眠る。そんな当たり前の繰り返しが貴重であり、その無事に感謝できる喜びを少しづつ感じ始めたのでしょうか。「東海道、旅日記」第10日目(後編)の始まりです!


東海道、旅日記 #17 【第11日目】「御油の松並木から岡崎の草原へ」豊橋~岡崎

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。11日目の8月19日は、豊橋(吉田宿)から岡崎までを歩きました。だんだんと徳川家康ゆかりの岡崎が近づくにつれ往年の東海道を彷彿とさせる風景が色濃くなり、「街道を歩いているんだ」という実感が確かなものになって行きました。御油の松並木、赤坂の旅籠「大橋屋」、藤川の真っすぐに伸びる道。そしてたどり着いた岡崎では、お城の天守に月がかかるのを見届けて日が暮れました。そしてその夜、昔と今の間に横たわるような草原で風に吹かれて眠ったのでした。「東海道、旅日記」第11日目の始まりです!


東海道、旅日記 #18 【第12日目】「岡崎の草原から七里の渡し・宮宿へ」岡崎~熱田・宮

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。12日目の8月20日は、岡崎から熱田神宮のある熱田・宮宿までを歩きました。八丁味噌で有名な岡崎を出発し、名鉄名古屋本線に並走するように歩みを進めると、だんだんと「中京」という感じがしてきました。「有松絞り」という染め物で有名な間の宿「有松」の風情ある町並みを過ぎ、名古屋の街中へ近づくと、江戸の街道からだんだんと現代へ戻っていくような感じがしました。熱田・宮宿では、名古屋に住む弟に「ひつまぶし」で有名な蓬莱軒に連れて行ってもらい、この旅で一番のご馳走を食べました。過去と現在の間を行ったり来たり歩いているような気がします。「東海道、旅日記」第12日目の始まりです!


東海道、旅日記 #19 【第13日目】「名四国道と七里の渡し・その手は桑名の焼き蛤!」熱田・宮~桑名

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。13日目の8月21日は、熱田神宮のある熱田・宮宿から桑名宿の先、朝日町までを歩きました。昔は七里の距離を舟で通ったという「東海道七里の渡し」、現在は埋め立て地を大型トラックが疾走する名四国道になっていました。人が歩いた街道とは異なり、まさに自動車のための道。歩くには厳しいものがありましたが、木曽三川が伊勢湾にそそぐ広大な景色のなか、水運・船から鉄道・自動車へと変遷してきた物流の歴史を感じることができました。桑名からは再び昔からの静かな街道へと入り、その夜、川の土手で見た大きな月は、昔の人が月の満ち欠けと共に暮らし暦を作り上げてきた長い時間を教えてくれるようでした。「東海道、旅日記」第13日目の始まりです!


東海道、旅日記 #20 【第14日目・前編】「猛暑の四日市・日永追分から伊勢神宮遥拝・関西の風」桑名~亀山

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。14日目の8月22日は、桑名宿の先、朝日町から亀山までを歩きました。静かな河畔を早朝に出発、おだやかな朝の街道の息吹を感じながら、まずは四日市を目指しました。お昼も過ぎると四日市の街は猛暑となりましたが、昔の旅人も木陰で休んだであろう一里塚の跡で休憩をしながら街道を歩き続けます。やがて伊勢神宮へ行く道との分岐点「日永(ひなが)追分」まで来ると、そこには大きな伊勢神宮遥拝の鳥居があり、そのたもとには冷たくて美味しい水が湧いていました。喉を潤し先へ進むと、だんだんと吹く風にも関西を感じるようになってきました。「東海道、旅日記」第14日目【前編】の始まりです!


東海道、旅日記 #21 【第14日目・後編】「ヤマトタケルと杖衝坂、古代から今に続く悠久の道」桑名~亀山

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。14日目の8月22日は、桑名宿の先、朝日町から亀山までを歩きました。四日市市を過ぎるころ、ヤマトタケルの伝説が残り、松尾芭蕉も俳句を残した杖衝坂(つえつきざか)に差しかかると、坂を登り切った先には真夏の青い空と白い雲が見えました。過去から連綿と続くこの街道を歩いた多くの先人も、同じようにあの空を眺めたのかと思うと、ありがたいような穏やかで不思議な気持になりました。そんな風にあちこちに残る歴史の面影を見つけながら歩いていると、田んぼでは稲刈りが始まっていました。西へ向かって歩くのは、秋へ向かって歩くことと同じなんだな、そんなことを思いました。「東海道、旅日記」第14日目【後編】の始まりです!


東海道、旅日記 #22 【第15日目・前編】「蝉時雨・鈴鹿の関から筆捨山・坂下の宿」亀山~水口

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。15日目の8月23日は、三重県の亀山宿から滋賀県の水口宿までを歩きました。カメヤマローソクで有名な亀山宿から鈴鹿川を遡ると、その昔、鈴鹿の関が置かれ今でも江戸時代そのままの雰囲気を残す関宿へと至り、そこを過ぎればいよいよ鈴鹿峠の麓、坂下宿。しかし、難所を控えかつては大いに栄えた宿場も鉄道が開通してからは、往時の記憶が眠る山間の静かな町並みを残すばかりです。そして険しく山賊が出ると恐れられた鈴鹿峠を越えると、「あいの土山雨が降る」と鈴鹿馬子唄に唄われた土山宿。そして水口宿へ着くころには本当に雨が心配になってきたのでした。「東海道、旅日記」第15日目【前編】の始まりです!


東海道、旅日記 #23 【第15日目・後編】「鈴鹿の峠、あいの土山・雷雨の水口」亀山~水口

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。15日目の8月23日は、三重県の亀山宿から滋賀県の水口宿までを歩きました。カメヤマローソクで有名な亀山宿から鈴鹿川を遡ると、その昔、鈴鹿の関が置かれ今でも江戸時代そのままの雰囲気を残す関宿へと至り、そこを過ぎればいよいよ鈴鹿峠の麓、坂下宿。しかし、難所を控えかつては大いに栄えた宿場も鉄道が開通してからは、往時の記憶が眠る山間の静かな町並みを残すばかりです。そして険しく山賊が出ると恐れられた鈴鹿峠を越えると、「あいの土山雨が降る」と鈴鹿馬子唄に唄われた土山宿。そして水口宿へ着くころには本当に雨が心配になってきたのでした。「東海道、旅日記」第15日目【後編】の始まりです!


東海道、旅日記 #24 【第16日目・前編】「水口石・力持ち伝説と大ムカデ・三上山伝説 そして草津へ」水口~京・三条大橋

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。16日目の8月24日は、滋賀県の水口宿から、いよいよ終着地点、京都・三条大橋までを歩きました。嵐の一夜が明け、水口宿「三筋の町」へ入ると早朝からお豆腐屋さんが働いていました。往時の繁栄を今に伝える水口曳山祭り、大井子の怪力伝説が残る水口石に思いを馳せながら、西へとまっすぐに延びる東海道を歩きます。三上山の大ムカデ伝説にも出会い、いよいよ近づいてくる都への予感に長旅で疲れた心も踊ります。「東海道、旅日記」第16日目【前編】の始まりです!


東海道、旅日記 #25 【第16日目・後編】「ついに到着・京都三条大橋」水口~京・三条大橋

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。16日目の8月24日は、滋賀県の水口宿から、いよいよ終着地点、京都・三条大橋までを歩きました。東海道と中山道の追分・草津宿を雨のなか出発すると、いよいよ近づいて来る都への期待が高まります。琵琶湖までやって来ると、京都へ入る前に湖畔で宿を取り体制を整えようかと思いましたが眠る場所が見つかりません。意を決して今日中に50km超を歩き三条大橋まで行くことにします。夜の帳(とばり)が下りた逢坂の関を越え、灯りのともる山科地蔵尊に挨拶をし、いよいよ最後の坂道を越えて行きます。そして三条大橋に到着すると、あの言葉が思い出されました。「東海道、旅日記」第16日目【後編】の始まりです!


東海道、旅日記 #26 【帰り道・まとめ】街道歩きの旅

 2013年8月9日、東京の日本橋から出発した初めての街道歩きの旅。16日目をかけ8月24日に無事に京都・三条大橋まで歩きとおすことが出来ました。東京への帰り道は青春18きっぷを使いJR東海道線で帰りました。16日間をかけて歩いた距離を快速・各駅停車でもたった9時間で走破、体がびっくりしてしまいます。その車中、今回の旅の装備や使ったお金などについて振り返りました。「東海道、旅日記」【帰り道・まとめ】の始まりです!



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