道について

街道~雑論

道との出会い

 私が「道」についての記述を本で読んだ最初の記憶は5歳の時です。

 昭和49年、その頃学習研究社から刊行されていたジュニアチャンピオンコースの「原始人のくらし 大むかしのなぞふしぎ」(直良信夫監修・たかしよいち著)がその本でした。当時保育園児だった私が、絵本ではない、「字の本」を買ってもらった最初ではなかったかと思います。

「原始人のくらし 大むかしのなぞふしぎ」(直良信夫監修/たかしよいち著・学習研究社)

 夢中になって読んだ記憶がありますが、そこにはこんな記述がありました。

 「そもそも、道などというものは、はじめからあったわけではない。けものや人が、食べものをもとめ水をもとめて、なんどか同じところを通っているうちに、そこにしぜんに小さな道ができたのだ。」

 それを読んだ私は、誰も知らない秘密の場所を足しげく通い自分だけの道を作ってみたい、そんな事を思ったものです。

父との記憶 ~小学生の頃~

 そして小学生の頃、「道」について、こんな話を父から聞いた事も記憶に残っています。

 何かの用事で地元の集落の中でも普段は歩かない辺りを父と歩いていた時、「この道は昔の道なんやぜ。お父さんが子供の頃なんかよりも、もっともっと大昔の事やぜ。昔の人はここを通っとったんや。」と、細い道を指示(さししめ)して教えてくれました。大人の父が、「もっともっと」という言い回しを子供のように強調して言うのを不思議な気持ちで聞いた事をよく覚えています。

 その「昔の道」とは旧益田街道の事で、その時その道を父と歩き、集落のはずれの辺りまで来ると、そこには江戸時代のものと思われる庚申様が祀られ、その上を立派な白藤(しらふじ)が覆っていました。

 そして、さらにその先を見晴るかすと、集落を外れた道が坂を下って街へと続く国道に合流し、大川に沿って延びて行くのが見えました。その瞬間、何物かにつながる見えない道が、目の前に連綿と続いているような気がしました。

2008年4月29日撮影 国道41号線(現在の益田街道)と大川(益田川)

夏休みの記憶 ~中学生の頃~

 そして中学生になると、私は夏休みの自由研究として「東上田の石仏と石碑」という一冊をまとめました。当時住んでいた集落に点在する道祖神や石仏などを写真に収め、それを見たままの感想と共に台紙に貼り付け綴ったものです。

「東上田の石仏と石碑」(1983年)

 今見返すとかなり稚拙なものですが、集落中の道祖神・石仏を探して歩き回ったのは良い経験だったと思います。

 しかし、夏休みの自由研究と言えば、生物・科学などの理科分野が主だった時に、社会科の分野を選んだのは特殊だったのかもしれません。その理由を綴りの冒頭に書いていますが、父に勧められた事、地域の地理に詳しくなりたかった事、地域の昔を知りたかった事、そして最後に、当時の担任教諭が社会科の先生だった事を挙げていて、その影響が大きかったようです。

 この自由研究のテーマについて先生に話したとき、「先生は昔の道について調べようと思っとるんや。」と話してくださった事を印象深く覚えています。それは父が、「お父さんが子供の頃なんかよりも、もっともっと大昔のことやぜ。」と故郷の道について話してくれた時の不思議な気持ちとも重なり、私の心の中に、無意識にも深く根付く事になりました

街道歩きの旅へ

 それから三十数年、世の中での様々な寄り道・迷子を経験した後に、街道歩きの趣味を得るに至ります。

 最初に歩いたのは東海道でした。それに続いて歩いたのが中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中で、一般に言う五街道とはこれらの総称の事です。江戸時代に整備された宿場や道の遺構が多く残るその姿に魅了された私は、特に「江戸期五街道」と呼んでいます。

2018年9月18日撮影 日本橋

 1600年(慶長5年)、関ケ原の戦いに勝利した徳川家康は、その翌年、東海道に伝馬制による宿駅制度を定めました。それに続いて江戸を中心とする五街道が整備され、五街道は幕府直轄の道として道中奉行が直接管理していました。

 人が歩く事を前提に整備され、265年の幕政を支えたその道は、多くの人の足で物や情報・文化が運ばれ、今につながるこの国の礎を育んで来ました。そして現在も、江戸期五街道に代わる新しい道が作られ続け、常に新しい時代を運び続けています。

道は続く

 先程書いた昔父と歩いた道を、随分と大人になってから一人で訪ねた事があります。

 しかし、人の通わなくなっていたその道は藪に覆われ、山からの水にぬかるみ、最早歩く事は出来なくなっていました。しかし、路傍の庚申様は今でも大切にされ、それを覆う白藤も健在でした。そしてまだ道が通っていた頃には無かった「旧益田街道跡」という、そこがかつて街道であった事を知らせる看板が地元の方の手によって建てられていました。

 そしてその先、眼下の川沿いには、その役割を継承した国道41号線が立派な舗装路を伸ばし、多くの車が行き交っています。

2015年8月22日撮影 東上田・庚申様
2015年8月22日撮影 東上田・庚申様

誰かが歩き続ける限り、道はそこにあり続ける

 街道はこの国の歴史そのものだと思います。人が通えば自然と道は出来るが、通わなくなればまた道は自然に戻って行く。そんな道を人や物が通い、やがて意識的に道が築かれる時代が訪れ、その時代がさらに新しい道を要請する。そうやってこの国の道は、その時々に姿を変えながらも脈々と鼓動し続けて来たのです。

 街道歩きを一生の趣味にしようと思い始めた時、私は一冊の本に出会い、その思いは決定的になりました。武部健一著「道路の日本史 古代駅路から高速道路へ」(2015年5月25日・中央公論社)がその本です。その後書きの冒頭には次のような著者の言葉が綴られています。

 「道路の歴史を勉強しているうちに、道路ほどその国の歴史を反映している存在はない、(中略)それならば道路の歴史をひもとけば、逆に通史が理解できるかもしれないと考えた。その成果が本書である。」

「道路の日本史」武部健一 著(2015年5月25日・中央公論社)

 私は歴史をひもとくには浅学が過ぎましたが、先人の歩いた道を実際にたどり歩く事で、一本の道の様に連綿と続くこの国の歴史を体感し、これからもその道は前に続いて行く事を知りました。

 誰かが歩き続ける限り、道はそこにあり続ける。

 悠久の営みを担う一人として、誰もが、それぞれの、様々な道を歩き続けているのです。

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