はじめに

街道~雑論

初めての街道歩きから13年

 2013年の夏に、初めての街道歩きの旅に出かけてから、今年の夏で丸13年になります。

 その間、五街道の他、各地の街道を歩き、様々な出会いや経験にも恵まれ、かつてはあこがれていただけの世界が少し見えて来たように思います。

 それは私の中で、「迷いせば歩け まだ見ぬものは 前にのみぞあれり」という言葉に収斂されています。

「迷いせば歩け まだ見ぬものは 前にのみぞあれり」

 例えば、野宿などを重ねながら初めての土地を歩いていると、時には雨に降られ、だんだんと日も暮れてくる中、今夜眠る場所も見つからず、途方に暮れる事があります。

 そんな時、スマートホンで近隣の地理や宿の検索、雨を避けられそうな場所の探索などをしてはみるのですが、後ろ向きな気持ちで掌中の電子機器をいじってみても、思うような情報は得られないものです。時間ばかりが過ぎ、あたりはいよいよ薄暗くなって行きます。

 しかし、いくらそこに佇んでいても何も解決はしません。そして、今出来る事は、自らの足で歩き、自らをここではないこの先のどこかに進める事しか無い、と気付きます。

 そうして半ば覚悟を決めたように「最悪の場合はこうしよう」などと最後の手段を思い浮かべながら再び歩き始めると、それまで気が付かなかったものが見えてきたりします。そしてあらためてスマートホンで検索などをしてみると、さっきはいくらいじっても出てこなかった情報が飛び出してきたりします。そんな経験を何度もしました。

 困ったら先に進め。もちろん危険を顧みず「闇雲」や「破れかぶれ」に進むのは論外ですが、そんな風に今は思っています。

「人の歩く速さで歴史は作られて来た」

 そしてもう一つ。私の中に「人の歩く速さで歴史は作られて来た」という言葉が生まれました。

 今はとても便利な世の中で、遠く離れた人と電話やインターネット通話でリアルタイムに話す事が出来ます。手紙も「メール」や「メッセージ」なら世界中のどこへでも一瞬で届きます。大勢の人に何かを伝えたいなら「SNS」などのネット配信、もちろんTVやラジオもあります。移動するなら自動車、新幹線、飛行機。ネット通販では頼んだものが翌日、早ければ当日に届いたりもします。

 このように人や物・情報の移動・伝達のスピードはとても速くなっています。

 しかし、日本に初めて公衆電信が開通したのは1869年(明治2年)、鉄道の開設は1872年(明治5年)、ラジオ放送は1925年(大正14年)、テレビ放送は1953年(昭和28年)で、1964年(昭和39年)の東京オリンピックを挟んだ高度成長期になって新幹線が開業し、航空機国内線・道路網は普及・拡大しました。
 
 言い換えれば、「スピードの時代」に入ったのは、この国の長い歴史の中では、たかだかここ150年くらいの事で、それまで人・物・情報は基本的に人の足で、街道を通じて運ばれていたのです。

 実際に自分の足で昔の人と同じように何日もかけて街道を歩いてみると、かつて同じようにこの道を辿った先人達の息遣いが、時空を超えて直接体に聞こえてくるような気がします。

 言い換えれば、歩く速さで歴史が作られていた時代の時間感覚に、今の自分が心身ともに同期するという感覚です。

 すると不思議な事に、歴史の教科書で習った先人達、例えば江戸前期に活躍した松尾芭蕉、もっと古くは神話の時代に活躍した日本武尊らが身近な存在に思われ、彼らの活躍した時代がそんなに遠い昔の事では無いように感じられるようになりました。

 各地の街道・路傍に残る彼らの息遣いに出会うと、ごく自然に「やぁ、お疲れ様」という気持ちになります。終焉の地と言われる場所でそれを今に伝える碑などに出会うと、自然と涙が頬をつたうような気持ちにもなります。

 人はその歴史のほとんどを人の歩く速さで紡いできました。

 先祖が紡いできた道を、先祖と同じ速さで辿ってみれば、その何千年・何万年という歴史の先端に、今、自分が立っているという事を知ります。

 そして歴史に一足飛びなどは無く、一歩一歩の積み重ねでのみ、今につながっている事を知ります。

 そしてこれからも前につながって行く事を知ります。歴史は遠い国の昔話ではないという事に気が付くはずです。

スピードの時代の時代に生きる私たち

 今、スピードの時代に生きる私達ですが、その中で何か判断に迷った時、人の歴史のほとんどは人の歩く速さで紡がれてきたという事に思いを寄せれば、何かしら解決の糸口が見えるのではないかと私は思っています。

 それと同時に、人が人・物・情報の移動のスピードの速さを追求する事は決して悪い事では無いとも思っています。

 人の歩く速さで歴史が紡がれていた時代に、生きる事が出来ず、記録にも残らなかった人が多くいた事も旅を通じて感じました。「昔はよかった」とはどうしても手放しに思う事は出来ません。

 しかし、スピードの時代になったのは、長い人の歴史の中ではつい最近の出来事です。

 その未だこなれていない経過の中で、様々な矛盾や軋轢も生じています。そこで思い出されるのが冒頭でも書きました「迷いせば歩け まだ見ぬものは 前にのみぞあれり」という言葉です。

 人・物・情報の移動のスピードが速くなればなる程、時代の変化するスピードも速くなり、人々の暮らしもどんどん変わって来ました。このまま加速度的に時代が進むと、その先にどんな世界が待っているのか不安にもなります。

 そうやって時代は変わって来ましたが、その間も人類は何万年もの長きに渡り歩き続けて来ました。その動機付けは「迷いせば歩け まだ見ぬものは 前にのみぞあれり」という思いだったのだと思います。

 そして、それはこれからも変わらない、そう私は思うのです。

ふるきをたずね、あたらしきを知る

 ここまで書いてきて、昔教科書で習った言葉を思い出しました。

 「温故知新」~ふるきをたずね、あたらしきを知る~

 これからも色々な道を歩いて行こうと思います。

 そしてその覚え書きを、ここに残して行こうと思います。

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